産後3〜4か月、記憶がほぼない理由|猛暑・移動・ドイツBürokratieと赤ちゃん

産後3〜4か月、記憶がほぼない理由|猛暑・移動・ドイツBürokratieと赤ちゃん 暮らしと子育て

3〜4ヶ月の頃のことは、正直あまりはっきり覚えていません。
毎日、目の前の「次にやること」をこなすだけで精一杯だったからです。

産後から、できるだけ赤ちゃんの記録を残すようにはしていました。

でもこの時期を振り返ると、
「ああ、そういえばそんなこともあったな……」
と、ぼんやりした輪郭でしか思い出せない出来事が多い。

今回は、そんな記憶が曖昧なまま通り過ぎていった、生後3〜4か月の日々を、
当時のメモや写真を頼りに、ゆっくり振り返ってみたいと思います。

この時期のことを、あまり覚えていない理由

なぜ、こんなにも記憶が薄いのか。
理由はわりと単純です。

  • とにかく余裕がなかった
  • 毎日「次にやること」しか見えていなかった
  • 書き残すより、こなすことで精一杯だった

産後から赤ちゃんの記録はつけていたのですが、この時期は本当にバタバタでした。
ほぼ毎日なにかしら予定が入っていて、その合間に引っ越し準備を進める、という生活。

加えて、ちょうど東京の猛暑と重なったのも大きかったです。
赤ちゃんとの外出は、時間帯をものすごく気にする必要がありました。

ベビーカーに設置するひんやりシートがマストアイテム。

 「日中に出てもいいんだろうけど、やっぱり心配」
その気持ちが常にあって、外に出るだけで一仕事、という感覚でした。

移住前に済ませた健診と予防接種

東京に戻ってから、赤ちゃんのためにやらなければならないことが一気に増えました。

まず最優先だったのが、
予防接種と健診を、できる限り日本で済ませておくこと

ドイツでは小児科の予約が取りにくい、
そもそも「かかりつけ医」を見つけるのが大変、
という話を聞いていたので、

「日本にいるうちにできることは、全部やっておこう」

という方針でした。

東京に戻ってすぐ予防接種の予約を取り、
決められたタイミングで保健センターへ健診にも行きました。

娘は別件で、念のため大学病院にも通う必要があったのですが、
大事には至らない検査でも、
猛暑の中、赤ちゃんを連れて通院する消耗は想像以上でした。

外出時は、「蚊よけ」と「ひんやりシート」がマストアイテムでした。
外出時は、「蚊よけ」と「ひんやりシート」がマストアイテムでした。

それでも、
「これで一つ安心材料が増えた」
と思えたのは、精神的に大きかったです。

赤ちゃんのパスポート準備と出生届

赤ちゃんのパスポートは、日本とドイツのものをそれぞれ用意する必要がありました。

日本のパスポートは、マイナンバーカードを使ってオンライン申請。 受け取りだけはパスポートセンターに行く必要がありましたが、 手続き自体は比較的スムーズでした。

ただし、問題は写真撮影。
赤ちゃんでもパスポート写真は必要で、これが地味に大仕事でした。

休日に妹を召喚し、夫・私・妹の3人がかりで撮影会。 照明と背景を整え、動き回る赤ちゃんを正面に向かせ、連写。

一度目の申請では、 「黒目と白目の境目がはっきりしていない」という理由で差し戻しに。

こんなに小さな目を開かせるのも大変なのに、 前を向かせるのも至難の業なのに、 さらに白目と黒目の境目をはっきりさせろと……?

そんな無理ゲーをなんとか乗り越え、日本のパスポートは無事取得できました。

問題はドイツのパスポートです。
そもそも大使館の予約がなかなか取れず、 「最悪、日本のパスポートで入国して、ドイツで作ればいいよね?」 などと、のんきなことを言っていた私たち夫婦。

まずは出生届のために大使館で予約を取り、申請時に窓口で確認しました。
(出生届とパスポートの予約は、またこれが別々の枠なのです。同時に取れる枠もあるのですが、予約が空いてなかったため、今回は出生届のみの予約で行くことに。)

私:娘ですが、ドイツのパスポートがなくても、日本のパスポートだけで出国できますか?

窓口:いいえ。国籍保持者は、必ず両方のパスポートを携帯する必要があります。 予約は毎日更新されるので、キャンセルが出たら取れますよ。 もしパスポートがない場合は、ドイツ語能力の証明が必要になります。

……ええええええ。

私と夫で絶句。
待って、何から突っ込めばいいのか。

  • 1〜2か月先まで予約、全部埋まっていましたが?
  • 渡航まであと1か月なんですが?
  • そもそも、その場で予約は取ってもらえないんですか?
  • そして、赤ちゃんのドイツ語能力って何??

まだ何語を話しているかすら分からないのに

せいぜい「ウー」と「アー」です。

こうして、ドイツの Bürokratie(お役所仕事) の洗礼を、 このタイミングでしっかり受けることになりました。

その後、夫が毎朝画面に張り付き、 予約ページを何度も更新。何日目かのチャレンジで奇跡的にキャンセル枠を拾うことができ、 渡航1週間前というギリギリのタイミングでパスポートが完成しました。

引っ越しと、人に会う日々

この時期、とにかく人に会いました。

出産をお祝いしてくれる人、
移住前にどうしても会っておきたかった人、
赤ちゃんを一度抱っこしてもらいたかった人。

家に招いたり、外で会ったり。
そしてそのついでに、
「この荷物、もらってもらえないかな……?」
と、引っ越し準備も同時進行

家は常に段ボールだらけでした。

娘はというと、
抱っこ紐に揺られるか、おっぱいを飲みながらでないと寝られない時期
いわゆる「悪魔の時期」です。

抱っこ紐で赤ちゃんを抱えたまま、荷物の仕分け。

退居の最終日は、赤ちゃんがまったく寝付く気配がなく、2時ごろ寝付いてそこから最後の追い込み。

夫婦で貫徹、退居時間ぎりぎりになんとか間に合い、そのまま空港に向かうタクシーの中で爆睡しました。

今思うと、
よく腰を壊さずに乗り越えたなと、自分を褒めたいです。

新生児期生後2か月までは自分の体重コントロールのこととかも
考えていましたが、そんな余裕は一切なし。
引っ越し作業がダイエット。

当時の自分、たぶんアドレナリンだけで生きてました。

生後3か月。首座り、タミータイム。
親が忙しくても、子は成長していく。首が完全に座って、少し持ち上げられるようになった頃。

とにかく多かった「移動」

この時期のクライマックスは、間違いなく移動量でした。

  • 実家 → 東京
  • 東京 → 実家
  • 実家 → 東京(友人の結婚式)
  • 東京 → ドイツ(ワルシャワ経由 → ハンブルク)

生後3か月で、まず実家から東京へ。
引っ越しが終わったタイミングで、また実家へ戻り、
2週間ほど滞在したあと、友人の結婚式のために再び東京へ。

東京ではホテルに滞在しながら結婚式に参加しました。
友人代表スピーチという大役もあり、
赤ちゃんのお世話をしながらの参加は、なかなかハード。

それでも、夫が一緒にいてくれたこと、
家族ごと招待してくれた友人の配慮には、本当に感謝しています。

結婚式の翌日、いよいよ日本を発つ日。
妹夫婦がホテルまで迎えに来てくれて、空港まで見送ってくれました。

そこからポーランド・ワルシャワを経由し、ハンブルクへ。
娘にとっては初めての国際線。

離陸時はかなり泣いてしまいましたが、
これだけ移動して、病気ひとつせず、怪我もなく、
本当によくついてきてくれたなと思います。

義理の両親が空港に迎えに来てくれて、おふたりの顔を見た瞬間、そこでようやく肩の力が抜けました。

…..0歳にして信じられない移動量。まじで、よくついてきてくれたなあ、うちの娘

いま振り返って思うこと

こうして振り返ると、
娘の3〜4か月は、本当に一瞬で過ぎ去りました。

記憶は曖昧。
でも、
親子ともにがんばっていたことだけは確かです。

正直、
「もう二度と0歳児を連れて移住したくないな」
とは思っています(笑)。

それでもこの2か月の間に、
娘はたくさんの音を出せるようになり、
いろんな表情を見せてくれて、
泣き方にも個性が出てきて、
確実に成長していました。

赤ちゃんの順応力に、
そして自分たち家族を支えてくれた人たちに、
助けられながら乗り切った時間だったと思います。

また次は、ドイツに到着して生後5~6カ月の話も投稿したいと思います。

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